延坪(ヨンピョン)島事件は領海の問題だ-번역木村英2010/12/23 178

연평도사건은 영해문제이다라는 저의 글에 대한 일어번역글입니다. 번역은 기무라히데토 木村英人님이 수고해 주셨습니다. 후쿠오카지방을 중심으로 출판되는 파토르네에 실렸습니다.

延坪(ヨンピョン)島事件は領海の問題だ        李時雨(イ・シウ)

―選択の岐路、‘10.4宣言か、それとも交戦か’―

また南北の交戦が起こった。軍人が死んだ。そして民間人が死んだ。北側の被害について実態は分からないが、中国の外信によれば南側よりはひどいという。南の軍人と民間人の死亡者に対して深い弔意を表したい。北側でも起こったであろう軍人と民間人の死傷者にやはり深い弔意を示したい。これ以上西海(黄海)での交戦が起こらないように何度も誓いながら、平和への努力は分断という現実の前ではいつも矮小なものになり、力不足の感がする。だからと言って危機の中からでもより良い機会を求める努力をなおざりにしたくない。分断国家の宿命の前では挫折することは一つの奢侈だ。

このような事態はだいぶ前から繰り返され、予想された事である。南側は局地戦的な挑発としているが、北側はこれまでの警告に従えば全面戦も辞さない、世界平和へ警鐘を鳴らす序幕だとしている。次の記事を見てみよう。

今再び西海海上で軍事衝突が起きるとすれば、それは過去の西海交戦とは比較できない争いになるであろうし、地上と空中を含む全面戦に拡大し私達民族の存亡は勿論のこと、世界平和も重大な危機をむかえることになる。

上の引用文は今回の延坪島砲撃に関しての論評ではない。盧武鉉(ノムヒョン)政権時代の2006年6月25日の「労働新聞」の記事である。北側は延坪島砲撃を通じて北方限界線問題に関して、自分達が長い間耐え忍んできた事が単なる言葉だけではないという事実を実証した事になる。米国の航空母艦が西海に向かい航行して来る時、北側の砲門はいつでも開いたままであると発表していた。

交戦が発生する度に、北側の政権の意図の分析が先立つが、このような意図分析は実際の事件自体の本質を遮る役割だけをしてきた。前後の脈絡を分析し隠れた意図を探す努力も必要であるが、公開され確認された事実から事件の経緯と解決の糸口を見出す姿勢がより重要だ。

西海の領海問題

「朝鮮中央通信」23日付の朝鮮人民軍最高司令部の立場は「南朝鮮傀儡政権は自分達の度重なる警告にもかかわらず、ついに11月23日13時から朝鮮西海、延坪島一帯で自分達の領海に対して砲撃を加えるという無謀な軍事的挑発を敢行した」と発表され、「朝鮮西海には我々が設定した海上軍事分界線(境界線)だけが存在する」という言葉で結ばれている。 これに対して南側の合同参謀本部関係官は「白翎(ペンリョン)島と延坪島で行った海上射撃訓練は射撃方向が北ではなく、西と南であり自分達の方向であった。射撃地域自体も自分達の区域であった」と説明している。 

南側は北の領海権の主張に対して、領海という言葉の代わりに‘自分達の方向’、‘自分達の区域’という言葉を使用した。区域と領海、領土を含む領域は法的に別の概念だ。区域が地理的概念であるとすれば、領域は主権、統治概念のためである。合同参謀本部が主張する意味は、自分達が実施した射撃が北側の領海へ向けたものでない事を強調しているものである。これに対する北側の論評を見てみよう。

25日「朝鮮新報」の報道に従えば、24日の夕方北側の板門店代表は「敵は自分達を刺激しないように島から南の方向に砲撃をしたと弁明しているが、延坪島は海上軍事分界線から自分達の領海内に深く入った所に位置しているために、そこから実弾砲撃をすればどの方向でも砲弾は自分達の領海内に落ちる事になる」と述べた。 

ここで南側の考えている領海と北側の考えている領海がお互い違っている事が確認できる。南側は北方限界線の北を北側の領海と看做しているが、北側は12海里領海の原則に従って設定した自分達の海上軍事境界線の北、即ち西海5島を全て含む海域を領海と看做しているのである。それ故延坪島から南に砲撃訓練をしたとしても、それは北側の領海内に落ちたという言葉には一貫性のある論理と言える。私達が北方限界線を放棄できないように、北側も北方限界線を認める事はできないのだ。停戦協定を締結した当時、西海上にはどんな軍事境界線も地域も無かった為に南北間で西海上の協会線に関して、長い間紛争が続いているのは周知の事実だ。しかし北側の主張する領海権は停戦協定とは隔たりがある。

まず第一に他の国の場合停戦協定に領土問題まで扱う場合はあるにはあるが、韓半島の停戦協定は会談を開始する以前から領土問題は扱わない事で合意していた。停戦交渉開始前に国連事務総長が両方の前線司令官に政治的な争点は除外して停戦問題だけに局限して交渉する事を提案し。(1951年6月27日ソ連の外相グロムイコはモスクワ駐在米国大使アラン・カークに「野戦指揮官達による停戦交渉がされるべきであり、この交渉はいずれにしろ政治、領土上の問題に関連することなく、軍事的問題に局限されなければならない」と自分達の立場を明らかにした。その後、外国軍撤退等の政治問題は論議されたが、領土問題は論議されないままであった。

次に停戦協定13条b項によれば、西海5島の地図(Map3)に表示されている島の周辺の四角形の点線は単に地図の上で西海5島の位置を識別するためのもので、島と関連した領海の設定とは関係のないことだ。従って国連軍側の主張する島の周辺3海里の領海に関しては停戦協定のどこにも合意した文章はなく、韓国政府が主張しているのかは分からないが、一介の軍事機構にすぎない国連軍司令部側で言及する性質のものでもない。その上、停戦協定は領土問題を扱わないという合意まであるので、停戦協定の精神ともそぐわない。北側は12海里を一貫して主張していて、プエブロ号事件直後北側がアメリカに強く求めた謝罪文の中に領海という言葉が4回使われていた。米国としては無念であろうが、北側の12海里の領海を認めた事になった。しかし南側と国連軍司令部が主張する北方限界線は北側からどんな形にしろ公式的に確認された事がないという弱点を含んでいる。

北側は1973年12月1日軍事停戦委員会の346次会議で西海5島の接続水域は北側の領海であり、ここを通過する船舶は北側から事前許可を受けなければならないと通知した。北側は領海権に関して「海上の国境は国家が領海権を宣布すれば、自動的に外郭線が国境になる」という立場を取っている。続けて北側は1977年8月1日人民軍最高司令部の名前で‘海上境界線’を設定すると宣言した。 北側の12海里領海の主張は1994年国連海洋法の発表と同時に現実化した。北側もやはり国連の海洋法を1996年に批准したので、領海の幅を12海里にすることに関して論争は無くなった事になる。問題は12海里が重なっている部分だ。これは等距離原則等の国際法の原則を適用して当事国が合意すればよい。

しかし南側は北方限界線と領海に関する交渉を禁忌すべき事にしてしまっている。国防部は北方限界線が即ち海上の軍事境界線であると主張する根拠としている‘凝固の法則’と‘時効法則’は国際法でも引用を避ける理論である。‘凝固の法則’とは関係する相手との合意、承認、黙認等の複合的要因により権限の取得を認められ、それが現実的に固定するという法則だ。‘時効の法則’とは領海や領土主権に関する国際法上の違反行為を相手側が抗議する事なく、長い間黙認している場合は認められるという法則である。但し抗議を受けることなく平穏な状態が維持されていなければならないという条件が満たされなければならない。北側は北方限界線を合意、承認、黙認した事はなく、北方限界線を巡る西海での交戦での南側の行為に関して以前から黙認した事もない。国防部の論理は逆に北側が自らは黙認してない事を表現している結果を導き出すことになる。延坪島砲撃直後、11月25日の北側の論評を見てみよう。

敵の狙っている野望は我々の物理的対応処置がない場合は、我々が島の周辺水域を彼等の<領海>として認めたという誤った結論をもたらすことだ。

結局南側の軍事的対応に対して沈黙する事は、南側の主張を認めた恰好になるので、何としても問題を提起して南側の主張を認めてない事を表現する事が北側の置かれた立場であったのだ。北側の主張は弁明にすぎないとしても、南側が北方限界線にかけた自己催眠を解かぬ限り紛争原因の提供者という嫌疑を晴らすのは難しそうである。

西海5島の領土問題

北側はこの間西海の5島に関しては問題化してきたが、5島即ち領土に関しては問題にはしていなかった。何故なら停戦協定に明確な合意が存在するからだ。しかし今回は領土の問題になった。北側は延坪島を砲撃した理由として次のように発表している。「延坪島は我々に対する軍事的挑発を加える根拠地となっているので、我々の軍隊は自衛的措置に従い応分の懲罰を与えた」と述べた。北側の領海に対する挑発を加えた場所が延坪島であったので、延坪島を砲撃したという論理だ。この論理ならば挑発の場所が船舶であれば船舶を砲撃する意味になる。北側の交戦心得が対等であり、具体的、そして限定的であることを意味する。これは交戦心得の適用という点で見ると一貫した論理だ。しかし西海上では海と島は停戦協定上で異なった地位を占めている。停戦協定13条b項によると、西海5島の統制権は次のようになっている。

(西海5島を)国際連合軍総司令官の軍事統制下に残したものを除外したその他のすべての島嶼は朝鮮人民軍最高司令官と中国人民支援郡司令官の軍事統制下に置く。韓国の西海岸においては上記境界線以南の全ての島嶼は国際連合軍総司令官の軍事統制下に置く。

西海5島とその南にある島嶼に関しては国連軍司令官が軍事統制権を持つという事だ。ここで注意して見なければならない言葉が‘軍事統制権(military control)だ。軍事統制権と言えば一般的に占領(occupation)を意味する。1954年38度線の以北であるが、軍事境界線の南である江原道地域に関する行政権移譲と1962年非武装地帯の中の民間人の村であるテイソン洞に関する行政権移譲と関連して国連軍司令部が韓国政府に送った文書にも停戦協定上の‘軍事統制権’という言葉が‘軍事占領’を意味する事が直接確認されている。現在の視点から停戦協定上の軍事境界線以南に関する国連軍司令官の占領者としての地位や役割は現実的には希薄になっている事は事実ではあるが、法的に韓国政府と国連軍司令部がこの問題を正式にけりをつけた記録は未だ見つけられていない。現在西海5島での占領者としての国連軍司令部が駆使する権利は軍事作戦に限定されている。以前の米軍占領時と同じ軍政や民政は想像する事は出来ない。治安、行政、救護等の業務は韓国軍と韓国政府の能力だけで十分に解決できるためである。しかし状況が悪化する時、民政事業は軍事作戦のために一貫した再編成がなされる。戦時だけでなく危機事態にも管理権を行使できる連合司令部と国連軍司令官の権限と意志により危機状況から戦争状況に発展する事もある。事件直後韓国合同参謀本部と韓米連合司令部兼国連軍司令部に危機処置班が作られ危機手続きが稼働中である。韓国政府が即座に国連軍司令官に要求した交戦心得の改定は実質的な危機事態を戦時に変換させ得る核心事項である点が着目される。

韓・米 西海軍事練習

ジョージワシントン航空母艦が西海に配置されたのは韓米同盟の象徴である韓米連合司令部の次元での対応であり、停戦協定当事者である国連軍司令部の対応であるという二重性を備えている。北側の延坪島に対する攻撃は南側の軍事練習に対する対応射撃であったが、国連軍司令部も必然的に対応せざるを得ないものである。シャープ国連軍司令官は延坪島に直接行き、今回の事件が停戦協定違反であると述べた場面は意味深長である。

シャープ司令は龍山(ヨンサン)基地所属のCH-47シヌーク・ヘリコプターで延坪島まで行く時、ヘリコプターは仁川から直線的に向かわず、はるか洋上まで出て迂回して行った事は疑問を提起した。1999年第1次西海交戦以後、北側の発表した朝鮮西海海上軍境界線と2003年3月に発表された航行規則によると第2水路上空、つまり徳積島の上空を直線的に通過して飛行した後、京畿湾の海上で90度方向を変え、北進した後に延坪島に着陸したためだ。このようなコースの選択は北側が指定した第2水路の航路だけが司令官の安全を保証できる唯一の航路であるために、不可避な選択であったのだ。従って危険を顧みず決行した司令官の延坪島行きは西海上の境界線と領海問題を自ずと学習する過程であったのだ。即ち米国は何らかの形で応答せざるを得ない問題なのだ。

 2006年北側が西海の紛争は「全面戦に拡大し私達民族の存亡は勿論のこと、世界平和も重大な危機をむかえることだ」という警告に巻き込まれるように米国の航空母艦を中心とする戦闘艦隊が西海に配置された。しかしオバマ大統領はABC放送とのインタビューで軍事的な対応処置については口を閉じた。AFP通信は複数の米国政府関係者達の言葉を引用し、米国は今回の事態を悪化させるどんな処置、或いは北側の挑発に関する補償も検討しないようであると報道した。AP通信は解決策が限定されている状況では、米国は軍事的対応より外交的な解決策を模索していると分析している。このような米国政府の態度は軍部の手足を縛ることにならざるを得ない。今回のジョージワシントン航空母艦艦隊の西海への配置は韓国と米国が‘何かをしている’という印象を植え付けるためのものであるだけだとインディペンデンス紙のアドリアン・ハミルトンの主張はより現実的な表現であると言える。

 停戦協定、国連憲章、南北不可侵条約違反問題

 国防部は事件当日の発表で、北側の延坪島砲撃は停戦協定と国連憲章、南北不可侵条約違反であると主張した。停戦協定13条b項によると西海5島地域では「理由なしに期限を越えて軍事力を撤去しない場合、相手側は治安を維持するために自らが必要であると認めるどのような行動も取る権利を有する」となっている。しかし3カ月を過ぎると消滅する事になっていた停戦交渉が57年も引き続けられる間に、交渉双方は軍事力の撤去どころか増強してきたのが現実であり、だから双方どちらも既にどのような行動をも取る権利を有する事になる。

 また一方の停戦協定違反に対して他方が取れる処置は、停戦交渉の放棄、戦争の開始である。米国が北側の停戦協定違反を強固に非難したとしても、停戦協定を放棄して戦争開始を宣言する事が最高の強硬な措置だ。しかし北側は韓米の停戦協定違反を取り上げ、停戦協定放棄を数度となく宣言しているし、停戦協定に殆ど拘泥せずに来た。だから停戦協定の放棄は既に北側が下した措置であり、韓国と米国は停戦協定を維持する事が現在の目標になる状況なのだ。停戦協定の違反に対する対応として取るべき措置に苦しまざるを得ない状況なのだ。また国防部は国連憲章違反に言及している。多分国連憲章2条4項の武力使用禁止原則を念頭に置いていると見る事ができる。しかしながら国連憲章51条は武力攻撃が発生した時、個別的、集団的自衛権を保障している。南側の自衛権の行使は当然ではあるが、北側の自衛権の行使も無視する状況ではない。自国の領海に武力攻撃を受けたという北側の主張は結局南側の領海がどこなのかの問題に帰着し、自衛権問題でない領海権問題に論議が移る可能性がある。韓国外交部が事件の初期に国連安保理にこの問題を回付することを忌避した理由もこの事と関連のあることだ。

 国防部は南北不可侵条約違反に関しても言及している。南北不可侵条約は南北基本合意書と同時に締結されたが、南側の国会では批准されないままで現在まで至っている。2000年の6.15南北共同宣言や2007年の10.4宣言より南北基本合意書が重要だと言う李明博政府でさえ国会批准には無関心であった。発効していない条約は条約とは言えない。相手側が守るべき義務を付与できない責任は自分達にあるのに、南北不可侵条約違反を誰に強要する事が出来るのか。それ故、延坪島事件は今回だけでなく他の場合と同様、解決策が限定されていると考える米国政府の判断はほぼ正しい。

選択の岐路北側の

 北側の警告は明白で具体的だ。領海死守である。これに対して南側の危機管理は混乱しているように見える。国防部の発表では‘北方限界線死守’という言葉が出てくるが、現在の対応過程では‘挑発’という言葉に焦点を合わせている。南北対話が断絶した状況で北側が領海問題を軍事的対応として提起したものなら、私達の対応も賛成、反対のいずれにしろ危機管理の目標は領海問題となるべきだ。勿論他の課題を持ち出し、北側が提起した領海問題を無視する事もできる。とにかく北側は西海上の軍事境界線より領海問題に焦点を合わせている事に留意すべき必要がある。北方限界線や西海上の軍事境界線は停戦協定の問題であるので、韓国政府でなく最終的には国連軍司令部が対応しなければならない。領海問題は国連軍司令部が立ち入る場所がない南北の主権の問題だ。現在南側の政情を見ると、北方限界線に関する交渉は勿論の事、領海問題に対する交渉もそれ自体が政権弾劾事項になるほど負担になった状態だ。盧武鉉政府時代の2006年5月北側としては破格的な決定として西海上の境界線を原点から論議し、改めて設定しようという提案があった。西海問題を根本的に解決できるこの提案さえ韓国政府は受け入れなかった。それで再び西海上の境界線問題に北側の攻勢が強まった。結局北側の根本問題解決優先主義と南側の漸進的解決主義の妥協点として10.4宣言の合意となったのだ。しかし10.4宣言が無力化した状態で北側は元来の根本問題解決主義に立ち戻り、海上の軍事境界線問題でもない領海権問題を南側に投げかけたのだ。

 10.4宣言か交戦かを迫られた状況で南側は国防長官を更迭するほど戦闘態勢が完備してなく、韓国戦争初期のように延坪島住民さえ援助、救護する準備も出来てない状態が明らかになった。更に南側としては全国民に長い間戦時体制を準備させるのも負担になることである。北に対する敵愾心は高まるが、戦争を忌避する気持も急速に増加するはずだ。北側は韓米連合訓練が領海内でなされなければ直接的な対応はしないはずだ。自分達の主張する領海内でされる時には、どんな形であれ対応せざるを得ない状況に置かれると思う。挑発に対して戦争に向かうのか、領海問題に関する10.4宣言の方式に戻るか、私達は岐路に立っている。  (11月27日付 「統一ニュース」から)

(注)10.4宣言 (2007年に結ばれた「南北関係発展と平和のための宣言」)