오끼나와515행사 강연록-일어본

我々の共通課題
李時雨

沖縄、韓国、日本の平和運動は連帯を超えて連合運動を要求している。それは、我々が処する共通の脅威に基づいている。核兵器、化学兵器、劣化ウラン弾と国連司令部を中心に、これらの脅威を詳しく見てみよう。

1.米攻撃型原子力潜水艦の4隻に1隻は核弾頭トマホークミサイルを搭載
2005年3月の[緑色連合]による記者会見を通して発表された、鎮海(チネ)海軍基地の米潜水艦埠頭に寄港した原子力潜水艦ロサンゼルス(USS688)は、1995年以降すでに核トマホークミサイルのための携帯用発射システムの装着が確認されており、核トマホークミサイルの搭載可能性も1/4と非常に高いと分析された。1991年にブッシュ大統領とゴルバチョフ大統領の戦術核兵器廃棄宣言があり、これに伴って南北非核化5原則も発表された。日本はかなり以前から非核3原則を強調してきた。1994年の米国防総省の核態勢報告書(NPR)によれば、これ以上海軍艦艇に核弾頭トマホークミサイルは配置されないと報告された。しかし、核弾頭トマホークミサイルは320個がW-80核弾頭と共にジョージア州のキャンプ・キングスベイ(Kings bay)に戦略核兵器と並んで保管されており、解体されたのではなく良好に貯蔵されているため、核弾頭用トマホーク(TLAM/N)は命令さえ下りればたったの30日以内に配置することができる状態であることも報告された。ローレンデータ社(Loren Data Corp)が1995年12月29日に自社のホームページに掲示した資料によれば、「米海軍傘下の海洋システム司令部は、地上攻撃用の核装着トマホークミサイルのための携帯用発射システムの開発と生産に向けた要求書を発給しており、この携帯用発射システムはロサンゼルス級攻撃型潜水艦(SSN688,688I)とバージニア級新攻撃型潜水艦(SSN774)に装着されるもの」だと明らかにしている。約1年後の1997年、核科学者のアーキン(Arkin)の報告によって、米海軍はこの核弾頭トマホーク携帯用発射システムを購入したと確認された。
核科学者協会誌(Bulletin of the Atomic Scientists)は1997年11月末、原子力攻撃型潜水艦ボストン(U.S.S.Boston)がバージニアのヨークタウン海軍兵器貯蔵所から核弾頭用トマホーク巡航ミサイルを成功的に搭載しており、米海軍が携帯用発射システムを購入していることは、前ブッシュ大統領が1990年の初めに攻撃型原子力潜水艦から核兵器を除去するようにした決定を一日も早く覆すための措置であったことを報告している。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の2000年報告によれば、30日以内に配置可能な核弾頭トマホーク再配置のための訓練と軍事的統合力を確保するため、核弾頭トマホーク装填は今も米戦略司令部(STRATCOM)が毎年実施する世界守護者演習(Global Guardian exercises)に含まれている。このことによって、核弾頭トマホークという兵器体系とそれを適用する作戦次元の演習体系がすべて復活するのだ。
更に2002年、情報自由法に従って機密解除された文書によれば、「核弾頭用トマホークは12隻程度の原子力攻撃型潜水艦によって使用されるよう策定されている。」と明示しており、12隻の原子力攻撃型潜水艦に核弾頭トマホークが搭載されていると判断するのは、これ以上難しくないことになった。1997年に核弾頭トマホークを搭載していたボストン(SSN703)は1999年に任務解除されて退役した。ボストンを除外すれば、1995年以後に携帯用核発射システムを装着した潜水艦として、現在運行中の潜水艦は合わせて46隻だ。これらの中で最小限12隻の潜水艦に核弾頭トマホークの使用が承認されていることから、沖縄のホワイトビーチと韓国の鎮海基地に寄港していた攻撃型原子力潜水艦に核弾頭トマホークが載せられている可能性は約1/4だ。約4隻の内1隻は核弾頭トマホークを搭載したと見ることができるのだ。これらの原子力潜水艦は1991年の米国による戦術核廃棄宣言以後、朝鮮半島非核化宣言と北・米ジュネーブ合意を経ながら現在までも数多く鎮海基地に出入りしている。また、韓国だけでなく、非核3原則を鮮明にしている日本の横須賀海軍基地、佐世保基地、沖縄のキャンプ・ホワイトビーチにも定期的に寄港する。日本と沖縄でも核搭載潜水艦が寄港する「1/4」の可能性は韓国と同じだ。何故ならば、韓国と日本の間に存在する国境線が米軍には存在しないからだ。
韓国には2007年11月にも釜山港に原子力潜水艦USSコネチカットが入港したのに続き、2008年2月には原子力潜水艦オハイオが入港しており、これはマスコミに大々的に公開された。これは原子力潜水艦の寄港に対する疑惑と拒否感を予め遮断するための先行措置であることは明らかだ。米国は韓国で核に対する疑惑を引き起こしてきた秘密主義に代わり、慣れさせるための公開主義を選んだのだ。原子力潜水艦の寄港を防ぐため1974年に神戸市議会が制定した「神戸方式」は今でも我々に良い模範だ。また、核の脅威に対する感受性が鈍くなるのは、過去に日本と韓国、中国などアジアの原爆被害者に対する無関心とも連関されている。50年前にアイゼンハワーは、朝鮮戦争での休戦協商の膠着状態が集結されない場合に原爆を使用するというトルーマンの脅威を繰り返し、米空軍は沖縄に原爆を何発か空輸した。ホイト・バンデンバーグ空軍参謀総長は中国東北部の瀋陽が戦略的攻撃目標になるだろうと公開的に暗示した。この様な歴史は、沖縄から中国に至る核攻撃圏域に対する脅威の象徴であらざるを得ない。潜水艦に搭載される核兵器に対する平和監視運動と、より進んで非核地帯化運動は、沖縄、日本、韓国などのアジア国家が国境の枠を越えて共同協力しなければならない事案であらざるを得ない。

2.キャンプ・ボニファースと岩国基地の化学兵器標識
1)朝鮮半島の戦争シナリオに沿って訓練されている化学攻撃
2002年9月、ノーチラス研究所のハンス・クリステンセン(Hans M.Kristensen)研究員は、情報自由法に従って機密解除された文書で驚くべき事実を発見し、これをある雑誌に発表した。1998年に米国西部のセイモア・ジョンソン(Seymour Johnson)空軍基地で核兵器を載せた戦闘飛行団が、東部フロリダのエイボンパーク訓練場に核を投下する訓練を行ったということだった。この核兵器は核弾頭の代わりにコンクリートが積み込まれていた。この資料が我々を驚かせたのは朝鮮半島の戦争シナリオによる訓練であったという点だ。当時の担当者であるランダール・ビガム(Randall K.Bigum)中佐と米空軍歴史家のマーフィー(John T.Murphy)とのインタビュー原文を入手して読むようになった私は、新たな疑惑の端緒を発見した。この長距離核投下訓練は朝鮮半島の戦争シナリオによるものであり、ここには化学攻撃(Chemical Attack)が含まれているという内容だった。一方、駐韓米軍の「作戦計画5027」とは異なり、韓米連合司令部次元の「作戦計画9518」によれば、核攻撃(Nuclear Attack)と共に化学攻撃に関する訓練計画が含まれている。すなわち、作戦的次元で核攻撃と化学攻撃は恒常的に準備され訓練されているのだ。2004年にある討論会で私がトーマス・ハバード(Thomas Hubbard)駐韓米大使にこの事実を質問した際、『それが何故問題になるのか? それは米国で行った演習だ。』と答えた。しかし、1994年の北・米ジュネーブ合意文には、『米国が北韓に対する核兵器の不脅威または不使用に関する公式保障を提供する』となっている。

2)国連司令部警備隊弾薬庫の化学兵器標識
2004年に私は国連司令部警備隊が駐屯しているキャンプ・ボニファースに、米軍がこの間使用を禁止していると知られている化学兵器が弾薬庫に保管されていることを示唆する証拠を発見した。4月21日、私は国連司令部警備隊が駐屯しているキャンプ・ボニファース南側食堂の向こう側に位置した弾薬庫に、写真のように三つの標識が付けられていることを発見し、これを判読した結果、有毒性化学物質が保管されている標識であることを確認することができた。
米軍爆発物教範FM4-30.13によれば、これらの中で8角形に1字が書かれた標識は火災標識で、大量の爆発を引き起こす爆発物が弾薬庫内に保管されているので、火災時の消火作業を丹念に行えという内容を込めた標識だ。そして、その横にある二つの標識は化学脅威度を表す標識で、中には化学放射線脅威に対して全身防御服を着用しなければならない有毒性化学物質が弾薬庫に保管されていることを意味する。右側の標識は水が弾薬に降りそそぐことを禁止するという、すなわち水接触禁止の標識だ。これは弾薬庫内に焼夷弾のような水と接触してはならない化学兵器があることを意味する。この中で他の基地の弾薬庫と比較すべきは全身防御服表示の色だ。現在、韓国にある駐韓米軍基地と韓国軍基地の大部分の弾薬庫ではこの標識の色が白色であるが、ここは黄色だった。化学脅威度を表す全身防御服標識には防御服の色に従って3つの種類に分けられている。標識で防御服の色が赤色の場合はサリンガスと神経ガスなど最も有毒な化学兵器を表す。黄色の場合は、それよりは致死性が劣るが依然として生命に致命的なアダムサイトなどが含まれた化学兵器を表す。白色の場合には白リン弾などの兵器を表す。

3)弾薬庫に保管されていると予想される化学兵器
米陸軍の弾薬爆発物安全基準(Department of the Army Pamphlet 385-64)によれば、黄色の全身防御服標識に該当する化学作用剤を見てみると次のようになる。
ポスゲン(CG)は窒息剤として肺にのみ作用して肺の毛細血管に損傷を負わせる。第1次世界大戦中の化学作用剤による犠牲者の中で80%以上がCGによるものだった。殺傷効果は24時間以内に発生する。CNは皮膚及び目に刺激を与えて気道上部にも刺激を与える。高濃度露出時に水膨れも発生する。CNはCSに代替される。CSは軍部隊で催涙弾訓練によく使われる催涙剤として皮膚及び目に刺激を与え、早い効果を現す。低い濃度でも即効的に効果を現しながら、露出後の効果は5~10分間持続する。塩化シアン(CK)は血液作用剤として目及び粘膜に強く刺激的であり、防毒マスクを無力化させるのに使用される。アダムサイト(DM)は密閉空間で使用する時の殺傷用になる。普通は固体状態にあって、爆発しながら非常に早く毒性エアロジェルを形成して1分程度の露出時で一時的に無能化状態に陥る。一方、露出程度に伴って効果は30分から1時間まで持続する。ディフェニールクロロアルシン(DA)は皮膚及び目に刺激を与え、早い効果を現す。露出濃度に伴って効果は30分から数時間まで持続する。
ディフェニールシアノアルシン(DC)はDAと似た効果を現すが、DAより更に強い毒性を帯びている。FSは重く強い酸性液で普通の濃度でも目と鼻と皮膚に高い傷害を引き起こす。FMは腐食剤だ。爆発物弾薬や飛行機から散布して四方に広がることができ、FM溶液は皮膚と目を焼く酸だ。BZガスは米国が開発したもので米軍兵士の間では別名「睡眠ガス」として知られている。睡眠と幻覚症状を誘発することができる。化学兵器の専門家らは、高度に予測不可能であり動揺と興奮を増加させると語る。米国はロシアがモスクワ劇場を占拠したチェチェン武装勢力を解散させる過程でこのガスを使用したと推測しもした。これらの中で特に使用の可能性が高い化学作用剤としてはポスゲンとアダムサイト、BZガスなどだ。これらの化学作用剤の内で、どれがどの中に入っているのか正確に知ることはできないが、これらの化学作用剤は一様に有毒だ。これらの化学作用剤が充填された化学弾の外部は大部分灰色にして他の兵器と区別する。米軍の野戦教本は司令部から機密上の理由で特別な命令を下ろさない限り、野戦教本の内容そのまま適用されるのが原則である点を考えてみれば、これらの化学標識が付いた弾薬庫に、先に列挙した化学兵器がある可能性は非常に高いだろう。問題はこの様な黄色全身防御服の標識が岩国基地の弾薬庫でも発見されたという点だ。岩国基地の海兵部隊は、毎年3月頃の韓米連合軍事演習時に韓国へ配置される部隊だ。これらの部隊が国連司令部警備隊のキャンプ・ボニファース(Camp Bonifas)の近隣にあるキャンプ・ウォーリアー(Camp Warrior)に駐屯しながら訓練するのが確認された。従って、キャンプ・ボニファースと岩国基地の黄色防御服標識にどのような共通の連関性があるのか疑わざるを得ないようになる。
一方、白色防御服標識は白リン弾が保管されていることを表す。ユーゴ戦争当時、米国は参戦する名分中の一つとしてサラエボで反乱軍が白リン弾を使用したという理由をあげた。しかし、イラクのファルージャ攻撃当時には、米軍が白リン弾を使用したという主張がイタリア放送によって提起された。だが、米国は殺傷用白リン焼夷弾ではない煙幕弾のみを使用したと弁明した。最近、私の裁判で国防部が提出した資料によれば、京畿道日山(イルサン)のある部隊に白リン焼夷弾が保管されていると確認された。

4)秘密に覆われた韓国の化学兵器
 1971年、沖縄ではレッドハット(Red Hat)作戦と命名された化学兵器輸送作戦が展開された。兵器が送られた場所はハワイのジョンストン島だ。1992年にはドイツのミエザウ弾薬庫から同様の兵器がやはりジョンストン島に移送された。これらは致死性が高いVXとマスタードを充填した化学兵器だった。弾薬庫に赤色全身防御服標識が付けられた化学兵器だ。このことで沖縄に化学兵器が配置されていたという事実は確認された。もう一つ注目すべきことは、沖縄からジョンストン島に移送された化学兵器の中で、現在その目録が確認されたのはVXとサリン(GB)、そしてマスタードの三種類の物質であるということだ。すべて赤い全身化生防御服標識に該当する兵器だ。しかし、黄色全身化生防御服に該当するルイサイトやアダムサイト、コスゲンなどの化学兵器充填剤は、最小限レッドハット作戦では除外されていた。一方、レッドハット作戦が実施されて10年が過ぎた1982年5月14日、米上院はこの間凍結してきた化学兵器の生産を再開するというレーガンの提案を間髪入れず通過させた。これで米政府は化学兵器を生産するのに必要な7億4,000万ドルの予算を確保することができるようになった。このように、米国の化学兵器政策は拡散と非拡散の両極端を行き交う様子を見せてきた。米陸軍は1986年に早々と化学作用剤除去施設を作りはじめ、これらの兵器は2001年になって廃棄された。
沖縄駐屯の米軍が、化学兵器を廃棄するためのレッドハット作戦を広報するために記者達を招請して、逆説的にその移転する化学兵器の保有事実が現れたのと同様に、韓国でも類似した事件によって秘密のベールに覆われていた化学兵器保有の事実が現れた。2000年、忠清北道永同郡のある弾薬部隊内に、加水分解及び廃液処理棟など合わせて4つの棟(地上の建物)に化学兵器廃棄施設が備えられたことが知れわたり、秘密でのみ取り扱われてきた化学兵器の存在が認められたのだ。毒性化学ガスの物質が輸送段階での事故で露出する場合、大きな人命損失を発生させるかも知れない可能性があるため、都心の通過にも規制を厳格に行うのが国際慣例だ。この様な理由で、まさにこの弾薬部隊が化学兵器を保管していた部隊だったと推定される。ここの住民らの証言によれば、2003年から国防部が韓国産化学兵器は廃棄作業に入っていったという。しかし、駐韓米軍が保有していた化学兵器に対しては言及がない。ハワイのジョンストン島の化学兵器処理施設が2001年に閉鎖されることで、化学兵器処理を行うところが無くなった状況から、米国が膨大な費用を支援しながら作られるようになった永同処理施設で米軍の化学兵器を処理するだろうという疑惑は大きくはなっているが、韓国国防部は沈黙のみで一貫している。

3.劣化ウラン弾
2001年、米国親友奉仕会(以下、AFSC:American Friends Service Committee)ハワイ支部のカイル・カジヒロ幹事が、米太平洋司令部の総司令官ブレア提督に要請した情報公開請求の結果で2003年に公開された機密解除文書によれば、駐韓米軍は『水原基地に1,360,181発、清州基地933,669発、烏山基地474,576発を保有』していると明らかになった。『韓国は約280万発の劣化ウラン弾を保有』した訳だ。3ヶ所の米軍基地に保管された劣化ウラン弾だけで約300万発で、国民12人に1発が貯蔵されている訳だ。

貯蔵基地
数量
烏山空軍基地
445,015(+24,696紛失)
清州空軍基地
933,669
水原空軍基地
1,360,181
嘉手納空軍基地
398,768
合計
3,137,633(3,162,3239 紛失分を含む)

しかし注意すべき点は、今回確認されたのが駐韓米空軍が保有した30mmの劣化ウラン弾の現況であり、1997年に米軍自らその存在を明らかにしている駐韓米陸軍が保有した120mm劣化ウラン弾の数まで合わせる場合、保有規模は更に増える見通しだ。特に、文書内容を追跡してみれば管理体系も深刻な問題があることが判明した。
烏山基地に保管中だった劣化ウラン弾は、文書上の数量と実際の数量が20,353発も差異が発生しており、清州と水原基地では9,408発の差異が発見される。更に、烏山基地の24,696発は紛失されたものと判明し、劣化ウラン弾の管理実態が深刻な状態にあることが露見した。紛失事件の場合、事件が発生した1990年以降に言及さえ行われず、2003年の情報公開当時になって「紛失」と言及した点も注目される。
1997年には湿気による腐食問題まで発生して、『6個のコンテナが損傷して1個には穴まで開いた』となっている。この記録は沖縄の嘉手納空軍基地の第18弾薬分隊と韓国の烏山空軍基地の第51飛行弾薬維持分隊から提供された。劣化ウランは水気と長時間接触すればフッ化水素ガスを発生させる。フッ化水素は農作物を枯死させるばかりでなく、有毒ガスである硝酸、フッ化水素などを呼吸すれば肺が損傷され死に至る。
この間、核分裂しない劣化ウラン弾を核兵器と見なすことができるか否かが大きな論争だった。この問題に対して2006年8月の国際劣化ウラン弾兵器反対シンポジウムで、この分野最高の科学者らが下ろした結論は2つの点で劣化ウラン弾と核兵器は同じというものだった。第1に、戦車の鉄甲を貫通する瞬間に発生する摩擦によって3000度の高温で劣化ウラン弾は破壊が生じ、ナノ(原子、分子レベルの大きさ)単位のガスと塵を発生させる。これは3000度で核分裂する核兵器と同じだ。第2には内爆だ。内爆というのは核物質が体内に入って引き起こす第2の被爆であるが、人体に吸入されたり吸収された劣化ウランの破片は核物質と同じく被爆を引き起こして遺伝子の変形をもたらし、奇形児を出産させたり各種の被爆症状を誘発する。1997年2月に京畿道漣川郡では、「米軍基地裏手の廃爆発物処理場で行政上の誤りで120mm劣化ウラン弾1発が破壊処理」された事実がある。この廃棄場の真ん中にある河川がハンタン江に流れ出るが、まともな環境影響調査もなく、この事件はうやむやになった。そして、「沖縄の鳥島では駐日米軍の劣化ウラン弾誤爆事故まで発生」したこともあった。一言で、単純な保有だけでも劣化ウラン弾による被害の可能性は常に存在するのだ。駐日米軍の場合、沖縄の事後以降に住民の反発が起こると劣化ウラン弾を撤収すると明らかにしたが、この公開資料によれば「依然として嘉手納空軍基地に保管」中である事実が明らかになった。
湾岸戦争当時、米軍が使用した劣化ウラン弾の中でA-10用30mmの総量が940,000発だったという点を想起すれば、駐韓米空軍基地の劣化ウラン弾量はおよそ3倍の数値に該当する。この数値だけで見れば、韓国での戦争は湾岸戦争に比べて3倍の規模で準備されているのだ。
しかし、1997年に120mm弾薬1発が漣川爆発物廃棄場で間違って分類され爆発したという駐韓米軍の報告は、空軍基地だけではない陸軍基地にも戦車用劣化ウラン弾が保管されていると証明した訳だ。120mm劣化ウラン弾を主に使用する戦車はM829シリーズで、M829A2に使用される劣化ウラン弾の劣化ウラン含有量は4.74㎏で、30mmに使用される劣化ウラン0.3㎏の約16倍に及ぶ。一方、紛失した劣化ウラン弾が2万発以上だというのは深刻な憂慮をかきたてる。
2007年12月5日の国連第62回総会は、「劣化ウランを含んだ兵器・砲弾使用の影響に関する決議」を通過させた。決議は、劣化ウラン兵器の使用が人体や環境に及ぼす潜在的有害性を考慮すると前文に明記した後、事務総長の名前で加盟国と関連国際機構に対して劣化ウラン問題に関する報告書を提出し、次期総会で劣化ウラン問題を議題として取り扱うようにした。遂に国連が劣化ウラン兵器に問題があるということを公式的に認定したわけだ。

4.国連軍司令部問題
1)国連軍司令部と駐韓米軍、駐日米軍
米軍を主題にした写真作業を行いながら歩き回り、私は駐韓米軍問題の新しい観点を発見するようになった。我々には国境で分けられた韓国と日本が、米軍には一つの戦場であるのみだという事実を感じ始めた。機会を作っては旅券を準備して日本の米軍基地を訪ね歩くようになったのは、そのような理由からだった。1回目は佐世保米海軍基地を回ってみた時だった。基地に沿って歩き夜を迎えて基地が望める山の上で野宿し、基地全体に鳴り響く起床ラッパの音に浅い眠りが醒めた。軍人達が点呼準備などで慌ただしく動く姿が見られ、8時になると米国歌が鳴り響きながら星条旗が司令部建物の前に掲揚された。その次は日本国歌と共に日章旗が掲揚された。そして、もう一つの旗竿に青い旗が音もなく掲揚されていた。風が旗の眠りを覚ますようにはためかせ、私はそれが国連司令部を象徴する国連旗であることを知り得た。佐世保は国連司令部傘下の基地だった。国連司令部は世界的に朝鮮戦争時が初めてであって最後に設置された。そのため、佐世保は駐韓国連司令部傘下の基地であったのだ。日本に国連司令部の基地があるとは・・・衝撃でした。後に分かった事実だが、駐韓国連司令部の後方指揮所には日本の7つの駐日米軍基地が含まれていた。東京の横田 (米第5空軍司令部)基地と近隣のキャンプ座間、横須賀(米第7艦隊)基地、佐世保の米海軍基地、沖縄の嘉手納空軍基地、普天間米海兵隊基地、ホワイトビーチ米海兵隊基地、駐日米軍の核心基地だ。同じ野戦司令官でありながらも駐韓米軍司令官が4星将軍で駐日米軍司令官が3星将軍であるのは、有事に駐韓米軍司令官が駐日米軍司令官を指揮するためであるが、これは駐韓米軍司令官が国連司令官として、北に対する占領と軍政任務まで遂行しなければならないからだ。駐韓米軍司令官と国連司令官、韓米連合司令官は同一人物だ。国連司令官は1950年の朝鮮戦争時に国連安保理決議によって、駐韓米軍司令官は1954年の韓米相互防衛条約によって、そして韓米連合司令官は1978年の韓米連合司令部創設公文によって各々任務が付与された。平時に駐韓米軍司令官は同じ4星将軍である太平洋司令官の指揮を受けるが、戦時になれば米合同参謀議長の直接指揮を受けるようになり、国連司令官の名前で駐日米軍司令官を作戦統制する。従って、駐韓米軍と駐日米軍は国連司令部の名前の下で完璧に統合された戦闘組織であるわけだ。
2003年に有事法制が施行されたが、法的に米国と日本が朝鮮半島の戦争に即時介入することは容易ではない。国連安保理決議などの手続きを経なければならないためだ。しかし、吉田―アチソン交換公文は米日の朝鮮半島戦争即時介入を保障している。何故ならば、他の地域の戦争とは異なり、朝鮮半島の戦争は国連安保理の決議を引き出すための複雑な過程が必要ないからだ。これは、朝鮮戦争が終戦ではない停戦状態であるので、国連安保理による朝鮮戦争参戦決議が今でも有効だと主張する国連司令部が存在しているからだ。すなわち、国連司令部の作戦統制下に即時的な戦争が可能なのだ。北韓侵攻まで想定した「作戦計画5027」、北韓崩壊時の対応計画である「作戦計画5029」などの作成主体が駐韓米軍司令部ではなく国連司令部であるということは、この様な理由のためだ。
1994年6月15日にホワイトハウスによる朝鮮半島での戦争の試みがあった。これは韓米連合司令部の統帥権者中の1人である韓国大統領との協議もなく進められた。このように韓国政府も知らない間に米国による一方的な戦争を可能にする唯一の法的根拠が国連司令部の存在だ。現在、米国は韓国軍に対して行使していた作戦統制権を韓国に返還する手続きに入った。2012年までにそれは完了される予定だ。しかし、米軍の作戦統制権が返還されれば、国連司令部の作戦統制権も一緒に返還されるかに対して未だに韓米軍事当局は結論を下ろせないでいる。国連司令部が解体されない限り駐韓米軍の作戦権返還は意味がない。新たに国連司令部の名前で作戦権を行使することができるためだ。韓米軍事同盟に対する韓国軍部の依存心は、現実を勘案したとしても甚だしい面がある。韓米連合司令部の解体は韓国軍部の一部に心理的困惑状態を呼び起こす問題ではあるが、国連司令部の解体は少しケースが異なる。北の軍事的占領を想定している韓国軍としては、北を占領後の軍政を実施しなければならない段階のシナリオで深刻な問題を発見するようになる。北の占領主体は韓国軍ではない国連連軍司令部だという事実を知るようになるのだ。この様な事実に対する韓国軍の反発心は大きいものと知られている。この様な理由によって、韓米連合司令部の解体とは異なり、国連司令部の解体問題は米軍と韓国軍の間に深刻な葛藤を呼び起こしながら分裂させる要因を有しているわけだ。

2)国連軍司令部と日本の関係
1950年7月1日、日本の官房長官は記者会見で『米軍の出動が国連の警察措置である以上、一部の人々が占領軍(駐日米軍)の命令に従って戦闘行為などに従事することは当然だ』と語った。そして、1950年7月3日の次官会議は、朝鮮戦争に関して次のような方針を決定した。
①米軍の軍事力発動に協力するのは当然だ。②将来、日本が国連に加盟するためにも有利だ。③従って、憲法と法律の範囲内で必要な行政措置―(船舶、陸上などの輸送力増強、電話通信の架設、海上保険の臨時措置及びこれに必要な措置)―をとる。上記方針の中で③は昨今取りざたされている「新ガイドライン」の原型である訳だ。
同じく1951年9月、吉田―アチソン交換公文を通して、韓国内の国連活動に参加する軍隊に対して施設及び役務を提供することに合意したのに基づき、先に見た7つの基地を国連司令部が自由に使用することができるようにした。これらの基地は「日米安保条約」に括られ、作戦出動時に事前協議が必要なその他の駐日米軍基地とは異なり、事実上で自由使用が保障されている。1954年2月19日、米国と日本は「国連軍行政地位協定(SOFA)」を締結し、「国連軍の合同会議を通して、日本政府の同意を得て米日安保条約を根拠に米国は日本の施設及び区域を使用することができる」と規定した。これが先に列挙した7つの基地を国連司令部後方基地として使用するようになった根拠だ。国連司令部に対する基地提供義務は国連軍撤収の90日以内に終了するようになっており、国連軍司令部が解体されれば国連軍の日本内基地使用権も消滅する。1975年の国連総会決議に従って国連司令部解体が決議される場合、米国としては日本内の基地使用権の問題を深刻に苦悶せざるを得ず、いつかは近づく国連司令部解体に対備して、日本と共に有事法制を推進するようになったのだ。実際に1998年の新ガイドラインの付属協定として締結された米日物品・用役相互提供協定法(ACSA)により、国連司令部が解体されたとしても米軍の日本内基地使用問題は何の問題もなくなった。これら一連の過程は、日本が朝鮮戦争当時から国連司令部に協力するという美名の下に再び軍国主義の道に進んでいった経過を見せてくれ、これらの基地が駐韓国連司令部に含まれているということは、国連司令部の作戦指示に従って駐日米軍基地の武力が自動的に朝鮮戦争に介入することができることを意味する。
国連司令部は誰も名目上の基地として理解しているが、実際に戦争が勃発する時には南韓と日本の米軍と韓国軍、自衛隊の一部までも戦争に参加させることができる構造を持っている。日米安保条約第6条は、「日本国の安全に寄与することと同時に極東に於いて国際平和及び安全の維持に貢献するため、米国の陸軍、空軍及び海軍が日本国内で施設及び区域を使用するよう許容する」となっている。日米防衛条約は韓米相互防衛条約とは異なり、安保の対象地域が「日本本土」に留まらず「極東」を範囲としている。しかし、これらの相互防衛条約だけで朝鮮半島での即時的な戦争は可能ではない。どうであれ、国連安保理の決議が必要であるためだ。しかし、国連安保理の決議過程もなく朝鮮半島での即時的な戦争に米軍と自衛隊が動員されることは可能だ。吉田―アチソン交換公文によって日本政府は施設と併せてすべての役務を提供することに合意しているからだ。自衛隊は国連司令部の指揮に応じて朝鮮戦争に即時介入することができるのだ。韓米日軍事三角同盟は抽象的な概念ではなく、国連司令部という実体を有した概念であるのだ。朝鮮戦争当時に米国の主導によって違法的な要素を持って誕生した国連司令部に、この様な非正常的な武力が集中しているのは、まさに国連司令部の違憲性を証明するものだ。
この様な点に鑑みてみるとき、日本の平和運動勢力と韓国の平和運動勢力とのこの間の連帯は、国連司令部解体問題に於いては連帯ではなく連合的組織体に発展されなければならない必要性が提起される。一方、韓国と日本の平和団体に於いて、国連司令部は他の主題とは異なり「連帯」ではなく「連合」次元の統合を要求する共通の問題だという利害関係があることを洞察する必要がある。韓米日の平和勢力には進むほど戦略的優位を有するようにする一方、韓米日の軍部勢力には進むほど葛藤を増幅させる問題であるのだ。国連軍司令部。それは韓米日軍事同盟の最大の鍵であり最も弱い環だ。■